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No Promises Await at Journey's End

digital minimalist

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、2021年1月2日(土)からTwitterとInstagramとFacebookにはログインしておりません。

その発端は以前も紹介した『デジタル・ミニマリスト』という本です。

この本も定期的に読み返している本の1冊なのですが、最近あらためて読んでみて本編の最後にある佐々木典士氏の解説に心に響く言葉がありました。

博物館で何百年も前に彫られた仏像を見る。驚くほど細密なそれらを見ながら、完成までに必要だったであろう努力に思いを馳せる。そしてこんな仕事は、朝から晩までネットワークに接続され、友人にいいねをつけたり、スマートフォンの通知に気を取られて忙しいぼくたちにはもはや再現できない仕事ではないかと思う。 『デジタル・ミニマリスト』解説(佐々木典士)より

佐々木典士氏といえば、私の心の一冊ともいうべき『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』の著者です。

集中できない自分

「最近、何かひとつのことに集中できなくなったなぁ」と感じていたんです。最近、というのはもうここ5年とか10年とかの意味ですけど。

社会人になりたての頃は仕事で使うプログラミング言語を勉強することが楽しくて、通勤電車の中で技術書を読み漁り、仕事でプログラミングに没頭し、帰りの電車でも技術書を読み漁り、家でも夜遅くまでプログラミングを試して、休みの日も朝から晩までプログラミング、という日々を送ってました。

しかし、今は仕事でもSlackやZoomでやりとりされる投稿にばかり気を取られて自分の作業に集中していない自分に嫌になります。

飛行機の写真を撮り始めた頃も、空港に行って飛行機を眺め、シャッターを切ることが楽しかったのに、いつしか珍しい飛行機ばかりを追い求め、撮った写真をいち早くTwitterに投稿し、いいね、をもらう。

flightradar24ばかりチェックして目の前の滑走路を見ていない、Twitterのタイムラインを追いかけることばかりに集中して好きな機体が目の前を通るのを見逃す。

孤独

そんなときに改めて読んだ『デジタル・ミニマリスト』の解説にある言葉が響いたのだと思います。

「三連休は不死鳥狩り」と曰うておりますが、連休に入る前の夜中に少しだけ仕事をしてみたんです。誰も仕事してないので、SlackもZoomも起動する必要がなくて声をかけられたり、気になる情報が舞い込んでくることもない。

そんな中で純粋に自分が書かないといけなかったコードを書いてみたら、あら不思議、1時間もかからずかけてしまいました。

他に気を取られることがあると、1時間ほど時間が取れても考え込んでしまってコードが書けなかったのに、外からのインプットがない状態だとこれほどあっさりと書けるものなのか、と久々に充実した時間を過ごしました。

『デジタル・ミニマリスト』の中では「孤独」というものを次のように定義しています。

孤独とは、他者から生まれた情報に反応せずにやり過ごし、自分の思考と体験にのみ集中することだ

この「孤独」になる時間が人間にはとても大切な時間であるとしています。紛れもなく、私が経験したのも「孤独」であったのです。

SNSを捨てる

TwitterとInstagram, FacebookのアプリをiPhoneから削除しました。flightradar24のアプリも消しました。

他の人のやっていることが見えなくなりました。たぶん緊急事態宣言の発出されている時期であっても、空港で撮影したり、飛行機に乗ったり、何か美味しいものを食べたり、珍しいものを見つけたり、そんな生活を送る人がたくさんいると思いますが、情報が入って来なくなりました。

すこぶる気分がよろしい。

不死鳥狩りに専念できる、というものです。メッキが剥がれてしまうから塗装しながら作ろう、と焦らずに方法考えて塗料を調べて準備する。塗ってみて乾燥させて色合いを考えてみる。これまでの自分だと面倒に思ってやらなかったことを始めています。

本当ははてなブログもアプリを消していたのですが、ブログは情報が流れ込んでくるというより、それなりに時間をかけて書かれたコンテンツなので見る価値のあるもの(が多い)だと思います。なので安心して見たい時に見ればいい、と思ってます。

もうしばらく孤独な生活を続けてみようと思います。