minimalistを目指す上で「もったいない」という感情、言葉、周囲からの圧力はかなり大きいと思います。その「もったいない」について考えてみたいと思います。
「もったいない」とは?
そもそも「もったいない」とはどのような意味なのでしょうか。ウィキペディアによると「物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ち」とあります。Google検索のトップには「まだ(他に)役立つのに無駄にされて惜しい」とあります。
つまり、モノが無くなってしまうことに対して惜しいと思う気持ちが「もったいない」ということだとわかります。この気持ちが勝てばモノを捨てる(手放す)ことができませんし、この気持ちに打ち勝つことができればモノを捨てる(手放す)ことができるわけです。
それは人間本来の気持ち
この「もったいない」気持ちは人間が持つ感情のなかで最も自然な当たり前の感情のように思えます。自分が苦労して働いたお金で買ったもの、誰かに買ってもらったもの、まだあまり使っていないもの、そういったものを大切にしたい気持ちは無くすべきではありません。
捨てると価値がなくなる?
「価値がなくなってしまうことへの反発」が「もったいない」という気持ちの根源である以上、捨てる(手放す)ことで価値がなくなってしまうと考えている間は永遠に「もったいない」という気持ちからは抜けることができません。
先に書いた上の2つの記事でも少し触れていますが、捨てる(手放す)ことで、そのモノが持つ価値は失われてしまいます。これは誰にもどうすることもできません。そのモノは自分が手にしていることで自分の価値を高めてくれると感じたり、将来に対する可能性を示してくれたり、何かを期待できるモノなのです。当然、手放してしまえばその価値は無くなります。
しかし、代わりに別の価値が生まれます。
これが重要です。私は3日間で80個を超える数のモノを売り払って気づきました。売ったモノが持っている価値は自分の元から無くなりますが、代わりに「部屋が綺麗になる」「売ったことによる買取金額分のお金を手にすることができる」「もう集めなくて良い開放感」という『価値』を見出しました。
自分は何も失ってはいない
ということができます。つまり、
捨てる(手放す)ことは、価値を別の価値に変えること
と言い換えることもできます。そう考えれば何ももったいないことはありません。捨てる(手放す)ことは価値を失うことではなく、価値を別の価値に変えてより良い自分を得ることだと思います。
もちろん、変換された価値とモノを持っていることの価値を比較してモノを持っていることの価値の方が良い、ということであればそれは捨てる(手放す)段階ではないのでしょう。
最後に決めるのは自分
結局のところは何を選ぶのか、という一点に集約されます。モノが無くなることで物理的な部屋の広さ、対価、開放感を得るのか、モノを持っていることの価値を選ぶのか。
決めるのは自分です。誰かが決めてくれるわけではありません。周囲から「もったいない」と言われて考え直すもよし、自分の価値観に従ってモノを手放すのも良し、です。